資料の保存に関する調査研究: 第５章　資料保存のための一般的な対応策

第５章　資料保存のための一般的な対応策
　第１節　はじめに
　これまで「保存」、「保全」等の言葉を使用し、その内容には直接触れなかった。しか
し、今後の資料保存への対応を考える際、その内容を理解することが必要と考え、ＩＦＬ
Ａ（国際図書館連盟）から出版された「図書館資料の保存と保護の原則」（1986年）の定
義を引用する。「保存と保護の原則」によれば、「保存（Preservation）」、「保全（
「保存と保護の原則」では保護と訳出： Conservation）」、「修復（Restoration）」の
三語をもって資料の保存を定義している。保全は「図書館・文書館資料を劣化・損傷・消
失から守るための個々の政策と実務で、技術職員が考案した技術と方法を含む」、保存は
「図書館・文書館資料及びそれに含まれる情報を保存するための保管・設備の整備、職員
の専門性、政策、技術、方法を含む全ての運営面、財政面の考慮」とされる。修復は「経
年、利用等により損傷した図書館・文書館資料を技術系職員が修補する際に用いる技術と
判断」と定義されている。また、保存の目標については①記録された情報の知的内容を原
形とは異なる媒体へ移し替えて保存すること、②図書館・文書館資料の物理的原形をでき
る限り完全かつ利用可能な形態で保存することの２点をあげ、①②の両方、もしくは①②
のいずれか一方としている。
　大胆ではあるが、定義と保存の目標の２点を加味して解釈すると、①と②の両方を目的
とするのが「保存」であり、②のみを目的とするのが「保全」といえる。ただ、最近は酸
性紙による劣化問題によって、余りにも大量の資料が崩壊の危機にさらされているため、
「保存」の内容も①の方へ重点が移りつつあるというニュアンスの違いが出てきている。
いずれにしろ、大学図書館では①②の両方を目標とする「保存」であり、特に「保全」に
重点を置く必要がある場合以外は「保存」の用語を使用する。
　また、「媒体変換」、「フォーマット変換」、「代替保存」、「置き換え（Replacemen
t)」等の用語も使用されている。最初の二つの言葉は紙以外のマイクロフィルムや光ディ
スク等の媒体に変えることであり、後の二つの言葉はさらにリプリント版や電子複写によ
る複製等を合めた意味で使用されている。
　ところで、図書館の重要な機能に資料の提供・利用があり、図書館資料は現在の、さら
に将来の利用者に提供・利用されることを前提に収集・組織化・蓄積されている。しかし、
利用という行為自体が資料劣化の要因の一つであるという意味では、利用と保存は互いに
矛盾しあう行為となる。しかも、資料劣化の要因は、利用だけでなく、媒体内部の化学的
要因、外部の生物的・物理的・環境的要因があり、利用と保存を両立させることは非常に
難しい。保存を優先すれば、現在の利用に制限を設けねばならないし、利用を優先すれば、
将来の利用が保証されない資料も出てくる。
　しかし、人類の知的・文化的遺産を後世に伝える責務を負う図書館としては、現在の利
用とともに将来の利用に備えて、資料保存のためにあらゆる努カを払い、「資料の提供・
利用」と「資料の保存」を両立させる方向を模索せねばならない。以下の４項目を共通認
識として可能な対応策を考える必要がある。
　（i）個々の図書館が、人類の知的文化遺産である図書館資料の保存について、その重
　　　　要性を認識し、未来の利用をも保証するための努カをすること。
　（ii）個々の図書館は自館の蔵書に責任を持って出来る限り原形による長期保全の努力
　　　　をするが、いずれ不可能となる。従って最終的には情報の知的内容を異なる媒体
　　　　へ移し替える媒体変換が必要となること。
　（iii）個々の図書館は自館の蔵書全てを永久に保存する機能を持つものでないし、その
　　　　必要もない。基本的にはその図書館の保存方針によること。
　（iv）個々の図書館は、その図書館の属する組織レベルの保存方針、さらに全国レベル
　　　　の対応策と調整し、共同分担をもって、国全体の責任として後世に伝え残すこと
　　　　を共通理念とすること。
　以上の点を踏まえ、個々の大学図書館で、所属する協会・協議会等の組織レベルで、そ
して全国レベルで、具体的な資料保存対策を検討する際に必要と思われる一般的な事項を
あげる。

　第２節　個々の大学図書館における対応策
　１　劣化資料の実態把握
　酸性紙による劣化、虫・カビ等による劣化、複写等による劣化などがある。それらの劣
化資料全般について、その種類・規模等の劣化状況の把握、書庫の環境状態・管理状況等
の調査が必要である。出来れば、書庫の環境と資料劣化の因果関係の調査も望まれる。
　酸性紙による劣化資料の調査では、10年後、30年後に劣化状態に陥る予備群についても、
資料の刊行年等を参考にして概略の数値を調査することが必要と思われる。

　２　保存方針の策定
　酸性紙による資料の崩壊という問題を契機に、図書館資料の収集、組織、提供、保存の
各機能がバランス良く、充分に果たされているかを見直すことが必要である。資料の劣化
状況調査の結果によって、図書館の方針を変更せねばならない。即ち、資料保存を図書館
の機能の中に明確に位置づけ、将来計画等に具体的な方策を盛り込むことである。その図
書館の役割、蔵書の規模・構成・内容、書庫環境、さらに予備の実情をも加味して目標を
設定することが必要である。

　３　規準等の制定
　保存の対象となる資料の範囲と方法等を定める基準、即ち、「貴重図書選定基準」と同
様の「保存すべき資料選定基準とその取扱」、媒体変換等を必要とする場合は「優先順位
決定に関する基準」等を制定することが必要である。
　さらに、カルフォルニア大学のバークレー校の「劣化図書プログラム」のように、保存
の業務内容と処理手続きを明確化したマニュアルの作成が望まれる。（p.53. 参考注３）

　４保存のための組織体制
　各大学図書館には事務分掌規定で「資料の保存に関することｊの一項が何処かの係（
掛）に設けられている。この「保存」がどのような内容であるか、どのような機能を果し
ているのかを再検討することから始めねばならない。そして保存方針に則して保存業務の
正当な位置付けが求められる。すでに所蔵している資料に対して、さらに今後受け入れら
れる資料に対してのチェック体制と処置体制が必要である。蔵書数が多く、かつ、受入冊
数の多い大規模大学においては、アメリカの研究図書館のような資料保存担当官(Preserv
ation Officer)、あるいは資料保存担当職(Preservation Librarian)の、また、保存課、
保存係等の設置が望ましい。資料保存の重要性を考え、必要な人員は確保すべきであろう。

　５　施設・設備の整備、特に書庫環境の改善
　温湿度、塵・埃、光等が資料を劣化させ、さらにそれらが相互作用して相乗的に劣化を
促進させることは、これまで見てきたとおりである。資料保存に必要な設備・備品類の調
達、空調による湿度・温度の管理、虫・カビ対策等について、各大学図書館は自館の保存
方針に沿った努カをすべきである。また、それらに関して職員に周知徹底することが重要
であり、資料の各素材に適した空調、湿度、温度、防虫・防黴方法等についてのマニュア
ル作成が望まれる。

　６　図書館職員の教育、利用者へのＰＲ
　アメリカにおいて指摘されているように、最も大切なことは図書館職員に資料保存の意
義、重要性及び資料の取扱い方を周知するための教育である。また、損傷・劣化の進んだ
資料を出来るだけ完全な原形保存をめざすための修復の専門的な知識と技術を持った職員
の養成も必要である。一方、利用者に対しても、その良識を待つのではなく、積極的にそ
の重要性を訴え、理解・協力を求めることが必要である。そのために各種のマニュアル、
パンフレットは有効な手段となる。

　７　共同プロジェクトへの積極的な参加と協調
　今や大学図書館は資源の共有を理念として図書館活動を進めている。資料の保存もその
一環であると理解すべきである．今後、マイクロフィルム等への媒体変換、そのデータベ
ース化による書誌情報の交換等いろいろな事業が展開されねばならないが、資料保存の効
果をあげる上で、共同分担が必須であり、経費、労カの軽減の点からも積極的な参加が望
まれる。

　第３節　協会・協議会等の組織レベルでの対応策
　１　基本方針の策定
　個々の大学図書館では自館の方針に沿って具体的な保存計画が進められるのであるが、
それらを全体として調整し、支援するために、一つの組織体としての保存計画を策定する
ことが求められる。即ち、その組織に所属する全ての大学図書館の劣化資料について、保
存すべき資料や媒体変換すべき資料の選定基準、媒体変換の媒体、それらの情報交換の手
段等に関して、基本的な方針を策定することである。これには地域レベルでの組織も同様
である。また、組織の活動をより効果的にするために、他の組織等との協カ・共同の取り
組み、国レペルの計画への参加が必要となろう。

　２　各種ガイドラインの作成
　いろいろなマニュアルが必要であることは随所で述べたとおりである。各大学図書館が
作成する際に、それに盛り込むべき事項のガイドラインを作成する必要があると考える。
それには図書館職員用（資料の取扱い方等）、利用者教育用（資料の取扱い方等）、書庫
・書架管理上の注意事項、災害等の非常事態への対応などがある。

　３　代替保存、特に媒体変換された資料に関する書誌情報の交換
　　　　－データベース化－
　各大学図書館や研究機関で既に貴重資料等の媒体変換－マイクロフィルム化が行われて
いる。媒体変換された資料に関する情報を互いに交換し共有することによって作業や費用
の重複を避けることが可能であるとともに、相互貸借による一層の利用拡大にもつながる。
冊子体目録での情報交換も考えれられるが、検索の便を考慮し、一つのデータベースに登
録し共有化を図ることが望まれる。これらは劣化資料の代替保存事業を計画する場合の基
礎情報にもなる。さらに、データベースに登録された書誌情報は国際交換が可能なもので
あることが必要である。
　また、媒体変換計画を互いに知らせあうことや、変換予定の書誌情報の交換も必要とな
ろう。

　４　保存図書館
　最近の学術審議会の答申に「蔵書の増加や図書資料の劣化の問題に対処するため、利用
の実態を踏まえた図書館資料の効果的な保存システムについて検討する必要がある」と図
書館資料の劣化対策として、保存システムの必要性が明記されている。保存システムとし
て分担保存方法や保存図書館等が考えられるが、資料の保存という観点から考えると、現
在、保存図書館に関する調査研究班の中間報告でも述べられているとおり、次のような諸
機能を備えた保存図書館が是非必要である。
　（i）保全すべき資料の保管機能（適切な書庫環境の提供）。
　（ii）マイクロフィルム等への媒体変換機能。
　（iii）媒体変換された資料のマスターコピーを保存し、領布する機能。
　（iv）媒体変換された資料の書誌情報をデータベース化する機能。
　（v）教育・コンサルタント機能。
　（vi）保存に関する技術的な研究・開発機能。

　５　中性紙使用への要請
　酸性紙問題の究極の解決策は中性紙の使用である。わが国における中性紙の書籍への使
用率は約70％で、４冊のうち１冊はまだ酸性紙である。この１冊も中性紙であることを願
わずにはいられない。特に日本の官庁出版物の中性紙使用率は45％と低い数値である。ア
メリカでは政府刊行物に中性紙を使用することが法律で義務付けられており、カナダにお
いても同様の法律が制定されようとしている。また、ＩＳＯ（国際標準化機構）でも中性
書籍用紙の国際規格を作成中であり、中性紙の使用は世界的な傾向となりつつある。図書
館界が一体となって出版関係機関・企業に中性紙の使用を要望すべきである。なかでも、
各大学、学会は多くの貴重な学術資料を刊行している。大学図書館にとって最も密接な関
係のあるこれらの機関に対して、早急に中性紙使用を強く要請すベきであろう。
　さらに、大学図書館の蔵書は洋書、外国雑誌の比率が高い。国際的な取り組みについて
も関係機関との連絡を密にして取り組む必要がある。

　６　保存のための技術開発の要請
　これまで見てきたように少量あるいは大量の脱酸処理技術には一長一短があり、まだま
だ改良を加えねばならない段階であると判断される。各大学には今後劣化すると予想され
る資料を大量に所蔵しており、何らかの脱酸処理が必要とされる。また、記録された知的
内容を移し替える新しいメディアやその変換技術についても、技術の進歩により、いろい
ろな可能性は秘められているが、現時点ではマイクロフィルム以外にないのが実状である。
技術立国日本が最も得意とする分野であり、世界に役立つ技術の開発が強く望まれるとこ
ろである。これらの技術開発に関し、関連する学会や産業界へ協カを要請することが必要
であると考える。

　７　その他
　大学図書館では、原形保存すべき貴重な資料の中に、酸性紙や虫害、カビの害のため損
傷しているものが多く所蔵されている。しかし、それらを修復出来る技術や専門的知識を
もった職員は皆無に近い。修復技術を持った専門家を養成することも解決されねばならな
い問題の一つである。また、資料の保存には多大の経費を必要とする。それを各大学図書
館に負担させることは保存計画の停滞を招くこととなり、何らかの資金援助が必要となる。
この経費についても解決が望まれる問題である。

　第４節　国レべルでの対応策
　印刷された文化財を後世に伝えるという、資料の保存活動に係わる個々の図書館の、あ
るいは組織レベルの努力も、劣化した資料の多さ、経費と労カの多大さ、適切な技術の未
開発、修復技術の専門家の少なさ等から、自ずから限界が出てくる。これらに共通する問
題を解決し、援助と支援を与えるのが全国レベルの組織であり、資料保存政策であらねば
ならないと考える。国立国会図書館をはじめ、日本図書館協会、各種の図書館協議会等が
中心となり、国の資料保存に係わる組織を設立するとともに、全国的な組織が学識経験者
や資料保存の専門家、関連する分野の研究者・技術者の英知を集め、国としての基本方針
を確立することが強く望まれるところである。さらに文部省や政府、民間の諸団体からの
資金的援助の要請も重要な役割となる。主に次のような事項が考えられる。
　（i）資料保存に関する全国的組織、調整機関の設立。
　（ii）国レベルの基本的な政策の確立。
　（iii）中性紙使用への要請。
　（iv）資料保存のための資金の確保。
　（v）資料保存のための情報交換・広報活動。
　（vi）大量脱酸処理システム、媒体変換の新しいメディアと変換技術の開発等の要請。
　（vii）補修・修復技術に関する専門家の養成。
　（viii）国民の理解の喚起。

第６章　まとめに代えて一つの提案
　本調査研究班は、加盟各館の蔵書について、酸性紙による劣化資料の実態調査を最初に
手がけ、劣化資料の書誌情報を学術情報センターのデータベースへ登録するための要領を
作成し、各加盟館に入カをお願いした。次に、本調査研究班に課せられた課題のうち、資
料劣化の要因と技術の開発状況、国内外における劣化対策の状況を調査し、それらの結果
から、特にアメリカの状況を参考にして資料保存のための一般的な対応策にも触れ、中間
報告を作成した。これらの調査の過程で、資料保存の重要さ、問題の大きさを再認識させ
られた次第である。
　その第一は資料保存の先進国であるアメリカの、劣化資料問題に対する認識の深さ、取
り組み方の規模の大きさ、その真剣さである。第二はこの問題の解決は、あらゆる図書館
が地道に、長い年月をかけて対応せねば目標を達成することができないことである。第三
は地域、館種等の組織ごとの共同分担を前提とした協カと国レベルでの取り組みが欠かせ
ないことである。第四は図書館界だけの取り組みでは限界があり、出版業界、製紙業界、
各専門家の協力・支援、さらに政府・各種団体等からの資金援助も必要とすることである
。さらに、酸性紙による劣化以外の、虫害等による国書・漢籍類の劣化の状況に関する実
態調査、そのデータベース化まで視野を広げ、その対応策を考えると、資料の保存問題は
まさに国家的な大事業となる。
　これらのことから判断して、一時的な調査研究班で取り組むにはあまりにも問題が大き
すぎるといわざるを得ない。そこで本協議会に次のことを提案することは時宜にかなった
ことであると考える。
　即ち、本協議会に「資料の保存」に関する特別委員会を設置することである。この特別
委員会は国立大学の「資料の保存」に関わる基本的な施策を審議するとともに、本協議会
としての基本方針を立案・企画する。それらをもとに他機関・組織との連絡・調整にあた
り、さらに国家的な事業としての取り組みを促す。さらにこの問題の重要性を広く社会に
周知させることである。それらの過程で必要となる個々の具体的な問題の解決には調査研
究班等を随時設置する。
　その主な任務内容は、すでに第５章からその概略は推察されるところであるが、次のよ
うな事項があげられる。
　（i）資料保存の基本方針に関すること。
　（ii）各種指針、ガイドラインの作成に関すること。
　（iii）劣化資料保存のための保存図書館に関すること。
　（iv）資料保存に関する情報提供に関すること。
　　　　（ａ）酸性紙劣化資料の書誌情報の提供。
　　　　（ｂ）媒体変換された資料の書誌情報の提供。
　　　　（ｃ）情報提供の手段に関すること（データベース化）。
　（v）資料保存に必要な経費に関すること。
　（vi）現在各大学から学術情報センターに登録されつつある酸性紙による劣化資料の書
　　　　誌データに関すること。
　　　　（ａ）その継続収集。
　　　　（ｂ）最終的なリスト作成・分析・調査。
　（vii）他機関・組織との連絡・調整に関すること。
　　　　（ａ）公立大学図書館協会、私立大学図書館協会、国立国会図書館、日本図書館
　　　　　　　協会、その他の関連組織・機関との連絡・調整に関すること。
　　　　（ｂ）資料保存に関する情報交換。
　（viii）中性紙使用の要請。
　（ix）大量脱酸技術の開発、媒体変換用の耐用性のある新素材の開発及び変換の技術開
　　　　　発等の要請。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　以上