資料の保存に関する調査研究: 第１章　総論

第１章　総論
　第１節　はじめに
　大学図書館は大学の研究・教育に不可欠な学術資料を収集、組織、保存し、利用者の研
究、教育、学習等のための利用要求に対し、これを効果的に提供することを主な目的とす
る機関である。各大学図書館は前身校から引き継いだ資料等を含め、その創設当初から鋭
意努カをし、他の館種の追随を許さないほど学術的価値の高い資料を多数収集し、研究や
教育の資料として蓄積してきた。これらの資料の蓄積は学術研究を支え、優れた研究成果
を生み出す源であり、未来の学術文化の発展にも不可欠なものである。今、これらの資料
が全て消滅したら、今後の学術研究はどうなるかを考えれば明白である。従って、大学図
書館は現在の利用者のみならず後世の利用者に対しても、その利用を保証する責務を負っ
ており、「資料の保存」が大学図書館の重要な機能の一つとして位置づけられる由縁であ
る。
　しかしながら、昭和30年代後半より大学図書館の改善が強く叫ばれ、それまでの資料の
整理・保管から、利用・提供を重視した図書館活動へと変化した。大量の資料を目の前に
して如何に早く整理し利用者に提供するかに腐心する一方、大勢の利用者に対して如何に
閲覧業務をスムーズに行うかに心をうばわれていった。かつての著作者の精神が宿るもの
としての書籍も、一つの物として見なされ、「形あるものは減びる」という意識が図書館
職員の心に芽生え始めたことは否定できないのではないだろうか。また、資料の虫食いや
カビをはじめとする生物的損傷、温湿度や電子複写による物理的損傷、さらに災害等によ
る破損・劣化はこれまでも指摘され、いろいろな対策が講じられてきたが、資料の保存に
とって最適な保存環境の整備、あるいは破損資料の修復は人的、財政的事情もあって十分
な措置がなされてこなかったのが実情である。
　1950年代終わりにＷ．Ｊ．バロー（William J. Barrow)によって製紙工程で使用される
化学薬品が紙を酸化し劣化させることが発見され、資料の保存問題が深刻な様相を呈する
に至った。即ち、劣化原因が紙の内部にあるということは、大学図書館をはじめ多くの図
書館が所蔵する、紙を媒体とする資料が大量に、確実に時間とともに崩壊していくことを
意味しており、かつ、次世代に伝えるべき資料が現在すでに消滅の危機に瀕しているとい
うことである。このことはこれまでの「資料の保存」に対する考え方、対応策の根本をゆ
るがすものであった。
　以来、ＩＦＬＡを中心に欧米諸国、特に米国の図書館界は「一国の文化の危機」「知識
の基盤の喪失」と認識し、後章で記すようにその対策を模索し、種々の調査や実験を積み
重ね、国をあげて取り組んでいる。わが国においても1980年代初めにこの問題の重要性を
知らせる文献が発表され、国立国会図書館をはじめ、一部の大学図書館では具体的な対策
が取られ始めた。また日本図書館協会においても、このための常設の資料保存委員会が設
置され調査研究が進められている。1990（平成２）年国立国会図書館で開催された「第一
回資料保存シンポジウム」の内容が主要新聞等で報道され、社会に大きな衝撃を与えたこ
とも記憶に新しい。

　第２節　国立大学図書館における資料の保存に関するこれまでの検討経緯
　　－酸性紙問題を中心に－
　国立大学図書館が酸性紙による資料劣化問題について本格的に取り組む契機となったの
は、1988（昭和63）年10月米国のラシーヌで開催された第４回日米大学図書館会議におい
て、「資料の保存」がテーマの一つとして採り上げられたことによる。
　全体会議では、日本からは高橋和雄氏による「日本における古資料そのものの原形保存
対策とその取り組みの現状」と渋川雅俊氏による「光ディスクファイルシステムと資料保
存」の報告、米国からはPatricia Battin 氏による「知識の保存：社会全体のための方
策」の基調報告があり、これらの報告を受けた部会討論では、資料保存の方策等が論議の
中心となった。最終日の全体会議では「資料の保存」に関して以下のような最終コミュニ
ケが採択された。
　「酸性紙の劣化による資料の消失に対する対策を確立することは緊急な課題である。こ
の問題に対する一般社会の認識の向上、出版社に対する中性紙使用の要請、脱酸処理技術
の開発、マイクロフィルム・マスターの作成の促進、光ディスクなど新技術の利用につい
て、日米両国の図書館関係者が、それぞれの国内で努力すべきである。また、保存に関す
る技術開発状況、およびマイクロフィルム・マスターの作成などについての両国間におけ
る情報交換を促進することが望ましい。」がその全文である。ここで両国の大学図書館が
今後取り組むべき課題と早急な対応と努力を確認しあったのである。
　1989（平成元）年６月弘前市で開催された第36回国立大学図書館協議会総会において、
第４回日米図書館会議の概要、特に酸性紙問題についての米国側の取り組み状況等が詳細
に報告された。さらに第１分科会では理事会から提案されたテーマ「資料の保存につい
て」が最終コミュニケの内容と関連付けて討議された。その結果、先ず国立大学図書館協
議会加盟の各大学図書館が所蔵する資料のうち、どの程度の規模で劣化しているかその実
態を把握することとなった。
　実態調査を担当することとなった九州大学附属図書館は1989（平成元）年７月から９月
にかけて数量調査を実施した。対象資料は一般図書、雑誌等逐次刊行物、貴重書を含むコ
レクション類の三区分で、調査範囲は一般図書と雑誌等逐次刊行物は本館及び分館の所蔵
資料、コレクション類はさらに学部図書室にも広げた所蔵資料であった。これらの区分ご
とに酸性紙による劣化が認められるものと著しく劣化が進行しているものについての調査
で、その結果の概数は一般図書では 828千冊（1.24%)、コレクション類では 105千冊(17.
31%)、雑誌等逐次刊行物では27千タイトル（2.79%)であった。この調査結果の詳細は1990
（平成２）年６月熊本市で開催された第37回国立大学図書館協議会総会において報告され
た。これにより各大学図書館は相当数の酸性紙による劣化資料を所蔵しており早急な対応
が迫られていることが確認されたが、具体的な対応策を決定するには至らず、検討を理事
会に付託されることとなった。
　付託を受けた理事会では、図書館資料の劣化には酸性紙による劣化以外にも様々な要因
があり、「資料の保存」の観点から図書館資料の劣化問題全般について真剣に取り組む時
期に来ていると判断し、酸性紙に起因するもの以外の劣化も含んだすべての資料劣化問題
について調査研究を行う必要があるとの結論に達した。1991（平成３）年６月富山市で開
催された第38回国立大学図書館協議会総会において、その趣旨を盛り込んだ「資料の保存
に関する調査研究班」を設置すること、及び調査研究班の構成を九州地区の会員館とする
ことが提案され承認された。
　調査研究事項は次のとおりである。
　（１）本協議会加盟館における劣化状況調査
　（２）劣化防止のための技術の開発状況
　（３）劣化に対する取り組み状況（日本及び外国）
　（４）資料保存のための対応策
　　　①原形保存及び代替保存（マイクロ化、電子媒体化）
　　　②保存すべき資料の範囲
　　　③国内外における分担協カ体制

　第３節　「資料の保存に関する調査研究班」の設置と検討内容
　九州地区では1991（平成３）年７月に「資料の保存に関する調査研究班設置準備会議」
を開催し、主査館に九州大学を選出、調査研究を推進するための実務者を中心とするワー
キンググループの設置を決め、活動を開始した。
　ワーキンググループは1991（平成３）年８月から、資料劣化の要因とその技術的な対策、
各国で実施されている対応策等に関する国内外の関連文献の収集に努めるとともに、調査
研究班に課せられた課題のうち、どの問題から取り組むかを検討した。
　与えられた課題はさまざまな要因による劣化問題全般についての調査・研究である。資
料の劣化には酸性紙に起因するもの以外に、和装本等の虫食い・カビによる損傷劣化、火
災・水害等による損傷劣化、さらには新しい情報媒体であるマイクロフィルム、磁気テー
プ、光ディスク等における物理的、化学的劣化などがある。しかし、これら全てに調査研
究を広げることは期間的にも不可能と判断し、その緊急性の高い酸性紙による劣化問題に
取り組むことを確認した。
　酸性紙による劣化状況の実態調査は先述のとおり九州大学附属図書館により実施され、
その報告も行われている。しかし、この調査は数量的把握を主体とし、調査期間も短く、
大学によっては十分な調査がなされなかったこと、調査範囲を一般図書は本館・分館にと
どめたこと、対象資料を劣化しているもの全てとしたこと、大学間で重複した資料が含ま
れていること等の問題点を含んでいる。そこで次のような観点のもとに再度協議会加盟各
館への実態調査を依頼することとした。
　（i）劣化した資料全てを救済することは不可能であり、また、経費・労力面でも非現
　　　　実的であることから、調査対象資料の範囲に何らかの制限を設ける必要があるこ
　　　　と。
　（ii）大学間での重複データをなくし、かつ、将来劣化資料の救済策を検討する際に、
　　　　保存すべき資料の優先順位が必要になることが予想されるため、書誌情報を含め
　　　　た１冊１冊の正確なデータ収集であること。
　（iii）酸性紙による資料の劣化は特殊な環境、零下１－２度での保管以外は時間の経過
　　　　とともに進行するため、一定期間の調査で完了するものではない。従って今後と
　　　　も継続的なデータ収集が可能な方法であること。
　（iv）収集されたデータが将来にわたって多面的な利用の可能な形態であること。
　特に（ii）、（iii）、（iv）のために今回は劣化資料の書誌データを学術情報センター
の目録所在情報データペースに登録することを検討した。幸いにも学術情報センターのご
理解、ご協力を得ることができ、システムの変更等の対応も快く承諾していただくことが
出来た。ここに深く感謝する次第である。
　1992（平成４）年６月、以上の経緯を経て作成された調査要領（案）を協カ館に検討方
お願いした。各大学からは多くの貴重な意見が寄せられ、それらを加味・修正して最終要
領をまとめ、1992（平成４）年８月に協議会加盟各館に調査と書誌データ入力を依頼した。
　なお、学術情報センターのデータベースへの登録という方法を採用したことにより、加
盟館からは多大な労力と入力期間を要するため、短期間では困難であるとの意見が多く寄
せられた。この点を考慮して、データ入カ期間を本調査研究班の任期を越えた1994（平成
６）年１１月までとした。

　第４節　「資料の保存に関する調査研究班」報告書作成について
　酸性紙による劣化資料の所蔵状況に関する調査がスタートしたが、登録されたデータの
集計は数年後となる予定である。そこで本調査研究班に課せられた他の課題、即ち、
　（２）劣化防止のための技術の開発状況
　（３）劣化に対する取り組状況（日本及び外国）
の２点を中心に調査をし、さらに諸外国の事例、特に資料保存の先進国であるアメリカを
参考にして、今後早急に取り組むべき保存対策を検討する際に必要となる一般的な対応事
項を列挙するとともに、まとめに代えて一つの提言をもって中間報告とした。残された次
の１点、
　（４）資料保存のための対応策
　　　①原形保存及び代替保存（マイクロ化、電子媒体化）
　　　②保存すべき資料の範囲
　　　③国内外における分担協力
については今回の中間報告で触れることが出来なかった。
　これに関して本調査研究班では次のような考えである。①のどのような劣化資料を原形
保存するか、あるいは代替保存するかの問題、②の保存すべき資料の範囲の問題について
は、その基本的な考え方、ガイドライン等について各国で実施されている実例を調査する
予定である。③については劣化資料の冊数等の数値、書誌データが収集され、それらに基
づく具体的な保存対策が国内で、あるいは諸外国との間で検討され始めた段階で調査・研
究されることが望ましく、現時点での論議は理想論に陥ると考える。
　従って、最終報告書においては、原形保存及び代替保存の基準、保存すべき資料の範囲
の二点についての基本的な考え方に関する調査結果、及び学術情報センターに登録された
酸性紙による劣化資料の書誌データから得られる中間の集計結果、それによって考えられ
る対応策、劣化資料リストをまとめ、最終報告とする予定である。
　なお、与えられた課題はあまりにも多岐にわたり、かつ科学的、技術的専門知識を要す
ることが多々ある。本調査研究を担当したものにとって、限られた期間内に多数の文献を
調査・比較し、的確にまとめることは大変荷が重いことであった。記述された内容が科学
的に正確であるか否か大変心許ない。各位からの誤謬の指摘、批判を仰ぎ、より正確な報
告書にしたいと考える次第である。