第2章 資料劣化の要因と技術の開発状況
 第1節 図書資料
  1 情報伝達の媒体としての紙
  (1)パルプ以前
 製紙法は中国後漢特代の西暦105 年に蔡倫によって発明され、世界各地に伝播して行く
が、その原理は現代に至るも変わっていない。その原料となる植物繊維を含む素材、使用
目的に適した性質を持たせるために添加される物質、大量生産を可能にするために添加さ
れる物質等によって色々な名前で呼ばれ、品質の異なる紙が作られる。また、植物繊維の
主成分であるセルロース、へミセルロース、リグニンの含有比率、製紙工程で添加される
サイズ剤(インクの滲み止め)、填料(紙の表面を不透明にし白さをます)、顔料・染料
(着色)、解膠剤(繊維が塊となることを防ぐ)など、さらにそれらの物質を紙に定着さ
せる媒剤によって紙の品質は大きく変わるのである。
 樹膚、麻の穂先、破布、漁網等を素材として蔡倫が発明した製紙法は、8世紀中頃にシ
ルクロードを越えイスラム圏に伝播し、製紙業の隆盛を見るに至った。13世紀初頭ダマス
カスやシリアのバンビックスから綿花を原料とする白い中性紙のコットンペーパーが東ロ
ーマ帝国のコンスタンチノープルを経由して西ヨーロッパ各地へもたらされた。ギリシャ
時代の古典を始めヨーロッパ中世、近世の書籍の多くが残っているのは、このコットンペ
ーパーを使用していたからである。
 ヨーロッパ近世の製紙法はぼろ布やリンネルの固い部分や色物を除いたのち、細かく裁
断して穴倉で醗酵させ、脂肪分を除去して植物繊維質を遊離させる。この植物繊維質を石
鹸水で溶解し鉄釜で煮沸し、さらに、臼と杵で搗砕して粥状にしたものを針金の網で漉き、
フェルト上に重ねて水分を搾り、紐に吊るして乾燥させる製法である。この製法によって
造られた紙は主に麻や木綿を材料としていることからRag Paper と呼ばれたり、漉目紙(L
aid paper)、網目紙(Warp paper)とも呼ばれる厚手の紙である。グーテンベルグの印刷機
はブドウ搾り器を改良して作られたもので、文字通り押下圧力方式による両面印刷で、紙
にほ弾力性が必要であった。当時の製紙工場は水車を動カ源としたことから渓谷に沿って
建てられたが、ぼろ布の不足のため大都市近郊に移ることとなった。そのため都市近郊の
河川の水に含まれる多くの鉄分やその他の不純物、また、煮沸用の釜やグラインダー、臼、
杵、金網等からの金属粉が原料に混入して酸化物となる可能性が高くなり、これらが斑点
変色を呈する要因となった。これが19世紀前半までの資料にみられる劣化状態の特長であ
る。

 (2)酸性紙
 19世紀後半、それまでの木綿、亜麻やぼろ布を原料とした製紙法にかわって木材パルプ
を原料とする製紙法が開発され、大量に紙が生産されるに至った。即ち、砕木パルプと亜
硫酸パルプである。また、それまでインクの滲み止めに使われたゼラチンとそれを紙に定
着させる媒剤の明礬に代わって、松脂を原料とするロジンサイズとそれを紙に定着させる
媒剤としての硫酸アルミニウムが使用されるようになった。この硫酸アルミニウムは紙中
の水分、大気中の水分と反応し分解して硫酸となる。時の経過とともに酸性度が高まり、
除々に紙の主成分であるセルロースを破壊し、紙をボロボロに劣化させるのである。この
他、製紙過程でいろいろな化学物質が使用されるが、このように酸性物質に変化する化学
物質を多く含む紙が酸性紙と呼ばれている。pH値では 3.0から 6.4の値である。因みに
中性紙のpH値は 6.5から 7.4、アルカリ性紙(無酸性紙)では 7.5から10である。

 (3)中性紙
 中性紙の製法は最初日本の和紙を参考にして英国で開発されたもので、辞書などに使用
されているインディア紙が有名である。ペンで書き込みをするとインクが滲むのはサイズ
剤か施されていないためである。酸性物質を添加せずに、滲みを防止した、あるいは漂白
して不透明で白さをもった紙の製造はコスト高のため実行されなかった。また、ロジンサ
イズの定着剤として使用される硫酸アルミニウムを中和させるために添加された炭酸カル
シウムも、結果として石膏と炭酸ガスに変化し、紙の品質を保持するには至らなかった。
 しかし、1982年頃から処理技術の進歩によって填料のクレー、タルク、酸化チタン等の
薬品にかわり、安価な炭酸カルシウムを使い、紙の表面をコーティングする技法が開発さ
れて、徐々に中性紙が生産されるようになった。また、炭酸カルシウムを多く使用すれば
原料のパルプが少なくて済むこと、水の循環使用が可能なため排水量が少なくて済むこと
などの利点もあり、さらに大量生産がコスト低下をも可能とした。最近では中性サイズ剤
として定着カチオン澱粉アルキルケテンダイマーが開発されている。これによって、電子
複写機の用紙や大手出版社の高価本には、大体中性紙が広く使用されるようになった。た
だ、酸性紙と密着したままで長時間経つと中性紙にも酸性劣化が転移する。

 (4)和紙
 紙の製法は隋の煬帝時代、高麗僧曇徴によって日本へもたらされたとされており、世界
で最も優秀な中性紙と折り紙が付けられている和紙へと発達する。現在でも世界中で貴重
な資料の補修紙として大量に使用されている。和紙は日本の山野に自生する楮(日本固有
の品種で九州四国に自生)、雁皮(関東以南に自生し人工栽培不能)、みつまた(中国原
産)の3種類の植物繊維を基本的な原料として作られる。和紙を作る過程で混入されるも
のほ、ねり(糊)剤として酸を嫌うトロロアオイの根の汁、ニレ、水仙、彼岸花、のりう
つぎ、びなんかずら、梧桐の樹脂などである。また、標白し美しく仕上げるために、木灰
や牡蠣殻を煮沸した汁も使用される。
 このような材料から作られる和紙は原料名(穀紙、麻紙、檀紙等)や産地名(修善寺紙、
美濃紙、高野紙等)、用途(綸旨紙、唐紙、奉書紙等)に因んだ名前で呼ばれ使用されて
きたが、一般に時代が下るにつれて品質が低下していく。江戸時代初期の元和・寛永期の
紙は紙質が良く虫も喰いにくいものであったが、文化・文政期以降、特に江戸末期の慶応
期になると原料やのりなどの添加物の品質が悪くなり、湿気が紙の漉き目に留まることに
よって虫の好むところとなった。江戸後期の出版物、絵草紙類や戯作文学等に使われた紙
の品質は劣悪で、これが伝存の少ないことの一因にもなっている。

 2 生物的劣化要因と対策
 生物による紙の劣化要因の主なものは、紙を蝕害して繁殖する虫と、僅かな栄養源と湿
度があればどこでも発生するカビである。
 (1)虫害による劣化と対策
 ア 害虫
 (ア) 種類と特徴
 和紙などを蝕害する虫にはシバン虫、鰹節虫、平た木喰虫、茶たて虫、長芯喰虫、紙魚、
ゴキブリなどがいる。この中でも多く見られるものはフルホンシバン虫、ザウテルシバン
虫、人参シバン虫、煙草シバン虫などである。主な害虫の生息地、成虫の特色・形等を一
覧表にしたものが(表1)である。注意すべきことは一般に成虫は飛散して資料に留まっ
ていることは少ないので糞から虫の名前を判断しなければならないこと、資料を蝕害する
時期は蛆虫状の幼虫期である。

 (イ) シバン虫の生態
 シバン虫の羽化成虫は西日本では4月中・下旬に現れ、摂氏25度±5度以内の環境で世
代交代を繰り返す。産卵から羽化までの全発育所要日数は雄で38.3日(30℃)から190.1
日(17.5℃)、雌で40.9日(30℃)から 204.0日(17.5℃)である。従って木造家屋内で
は平均して北海道・東北で年1回、関東・西日本で2回、南九州で3回、沖縄では5回の
羽化となるが、コンクリート製の書庫では気温が平均化され最適温度期間が長くなるので
羽化の回数は多くなる。
 羽化した成虫はしばらくの間、蛹室にとどまるがその時点で30個から75個の成熟卵をも
っており、脱出後すぐに交尾産卵する。気温が25℃であれば4日後には50%、8日後には
90%が産卵を終え、60日から 200日間生存する。越冬は幼虫期終りに行われ、翌春19℃前
後で発育が再開されるが、冬季でも暖房等で気温17.7℃を越える期間が続くと少しずつで
はあるが絶えず異種世代の重なりが行われる。
 このようにシバン虫の生活史は卵−(孵化)−幼虫[蛆虫状]−(蛹化)−蛹−(羽
化)−成虫−(産卵)であるが、書籍に被害を与えるのは蛆虫状の幼虫期で、低温には極
めて強い。成虫は向光性をもっており、窓際に走りサッシ窓枠程度は自由に出入りできる。
ただ、飛行成虫は95%以上が産卵を終えた老虫である。
 幼虫の好物は蛍光灯カバー内の昆虫の死骸、皮革本の厚手の表紙、植物厚葉標本、種子、
豆穀類、小麦粉、ビスケット等の菓子類、乾麺、香辛料、漢方薬等で、天井裏に置くクマ
リン系殺鼠剤をも解毒する酵素を体内にもっている。
 幼虫は書物の表紙や小口に直径1mm程度の丸い穴(侵入口であり脱出口でもある)を開
ける。そこから紙の中へ不規則に曲がりくねった大小さまざまな形のトンネルをほる。柔
らかい紙のセルロースを栄養源とし、トンネルの途中には糞と食べ滓を残し、また、壁に
は唾液による蛹室を付着させる。成長とともにトンネルも太く大きくなっていく。

 イ 防虫対策
 害虫の発生、成育には温度・湿度が強く影響する。従って適切な書庫管理は欠かすこと
ができない。日頃からの防虫、殺虫の対策が必要である。
 (ア)燻蒸殺虫
 大量の資料を燻蒸殺虫するには、資料を書架に置いたまま書庫全体を確実に密封し、殺
虫剤として強烈な有毒ガスを書庫内に充満させて一括大量燻蒸する方法(殺卵に24時間で
可能であるが、通常2日から3日間実施する)、書架の列単位にビニール引きのナイロン
ターフで覆って有毒ガスを充満させる被覆燻蒸法がある。少量の資料には大きな密閉容器
に少量の二酸化炭素を注入し二日間燻蒸する簡易駆除法、ブックトラック1台分程度の本
を密閉釜に入れ臭化メチルを注入して3〜4時間程度で燻蒸する減圧式燻蒸釜による方法
がある。さらに大都市では貨物自動車に燻蒸釜を装備して図書館まで出向く出張燻蒸法も
ある。
 これらの方法には有毒な薬剤が使用される。大量燻蒸では書庫のコンクリート壁のひび
割れや隙間からのガス漏れの恐れ、残留ガスによる職員等への危険があり慎重な対処が必
要で、専門業者に施行を委託しなければならない。図書館職員による減圧式燻蒸釜等の運
転についても使用済ガスの処理は都市条例の廃ガス基準に抵触する恐れがあり、厳重な取
扱が必要である。
 燻蒸剤には殺虫剤として冬季はフッ化サルフリル(殺卵には弱い)、夏季には臭化メチ
ル(皮革本に臭気が残る)を85%、酸化エチレン(防黴剤)14%、その他1%の混合薬品
(商品名「エキボン」)がよく使用される。これらは使用後、紙に残留すると人体に有害
(特に酸化エチレンは引火性が強く人体に対して強い毒性がある)であり、度重なる燻蒸
殺虫による残留薬剤が図書館職員・利用者の健康を損なうこともある。活性炭等による残
留ガスの吸収を施して職員の安全管理にも十分配慮が必要である。また、薬剤は分解して
紙の劣化を急速に促進する物質に変化することもあり厄介である。

 (イ)防虫剤
 図書館資料に使用される防虫剤は一般家庭で衣類の防虫に、あるいは研究機関等の標本
類の防虫に使用されているものと大体同様である。まず、天然の楠から採取される樟脳が
ある。高価であるが、悪影響もなく昔から貴重書の防虫剤として使用されている。安価な
ものとしてナフタリンがある。その他、パラジクロールベンゾールは新しい製品で、種々
の物品に対し悪影響がないとして使用されている。また、燻蒸後の防虫処置として、蒸散
剤であるジクロル酸ジメチル(DDVP)を染み込ませた短冊(パナプレート)を書庫通
路の天井からぶら下げたり、容器型のものを書庫内随所に置くのも効果がある。ただし、
樟脳、ナフタリン、パラジクロールベンゾール等の混用による相互作用、さらに燻蒸に使
用される薬剤との化学反応について十分な配膚が必要である。これらの混用は互いに作用
しあい溶解して資料を傷めることがある。

 (2)カビによる劣化と対策
  ア 種類と特徴
  書籍に発生するカビは「毛カビ」や「蜘蛛の巣カビ」など約 100種類もある。毛カビ
は古パンや蜜柑に付くオリーブ色のカビである、梅雨カビは赤、黒、褐色、緑色の汚点を
付ける。中には紙のセルロースを分解するもの、皮革類を分解するカビ菌もある。その他、
黒色、青コウジカビ、クラドスポリュームなども有名である。
 カビ菌の胞子は塵・埃に付着して風に吹かれて飛んでくる。あるいは人の衣服について
書庫内のどこにでも侵入することが出来る。さらに胞子はどんな乾燥にも耐えうる。そし
て高温多湿の条件が満たされると発芽して活動を開始する。製紙、製本において糊剤とし
て膠、生麩、澱粉が、製本クロースの顔料としてカゼインが、可塑剤としてひまし油等が
使われるので、それらが腐敗すればカビの栄養源となる。また埃、唾液、手垢(脂肪)な
ども栄養源となる。

 イ 防黴対策
 あらゆる過程で侵入してくるカビの胞子を排除・死滅させることはほぼ不可能であり、
カビの発育に適した環境をつくらないように書庫内の温度・湿度の管理を厳重にすること
が第一に必要なことである。乾燥を維持することがカビの生育を阻む重要な方法であるが、
過度の乾燥は紙の強度や品質を低下させ、また、資料の劣化の原因ともなる。資料の素材
にかなった管理が必要となる。
 調湿には中性紙に調湿剤(ゼオライト)を漉き込ませた板紙(humidity controlling
board)をスチール製棚板の裏に取り付ける方法がある。これは吸・放湿機能による結露防
止とガス吸着機能がある。また、吸湿材として使用される桐板と同じ効果を目的にしたH
Cペーパーが某社から市販されており、桐板の代わりになる。正倉院式に二重、三重に布
で包む方法や脚付唐櫃、長持の使用も外界からの温度・湿度・光線の遮蔽に役立つ効果が
ある。さらに燻蒸の際に防黴剤の使用も考えられる。